【第47回目】判断基準の正しさ

こんにちは!ゆっきーです。

今回は、私たちの<判断基準の正しさ>について、考えてみたいと思います。特にこれから留学する人たちへ向けてのメッセージ的な内容でもあります。

 

まずひとつ質問をさせてください。
「何かを判断するときの基準は何ですか?」

 

これについて、とても興味深いことが「影響力の武器」(誠信書房)という本の中で、述べられていました。

「私たちは、他人が何を正しいと考えているかにもとづいて物事が正しいかどうかを判断する」

「この原理が特に適用されるのは、正しい行動が何であるかを私たちが決めるときです。特定状況のもとで、ある行動を遂行する人が多いほど、それが正しい行動だと見なす…」

まさにドキっとするような内容ですね。

 

つまり、私たちは、多くの人がする行動を正しいことだと“見なし”て、それを判断基準とし、行動する傾向があるということです。これを読んで、思い当たることはありませんか?

すべてではないにしろ、多かれ少なかれ、私たちにはそんな傾向があるように思います。でも、冷静に考えてみると、少し恐いですよね。なぜかというと、きちんとした理由もなしに、「みんながこう思うから」とか、「みんながそうするから」という理由で行動している人たちがいるにもかかわらず、その実態を考えずに、彼らの行動を見て、それを正しい行動と見なし、同じように行動している可能性があるのですから。

私たちが、普段、そんな傾向を持っているとしたら、改めてこれまでの判断基準を少し見直していかないといけませんよね。実際、周りの人の意見に従おうとする理由はいろいろあると思います。たとえば、それが正しそうだから、ということかもしれませんし、自分の意見に自信がないからなのかもしれません。それらの理由以外にも、自分で考えることが苦痛・面倒なので、みんなが行動することに従う人もいると思います。

いずれにしても、私たちは多くの人がする行動が正しい行動だと見なす傾向があるということは知っておく必要があると思います。最近の社会情勢を見ていると、常識では判断できないこと、考えられないことも多々あるものです。そんな先行き不透明なこれからの時代には、常識や周りの人の考え方にとらわれずに、自分の信じた道を行ってみる覚悟も必要ではないでしょうか。

スポーツの世界で言えば、一昔前までは、日本人選手はメジャーリーグでは通用しないということが一般的な見方でした。しかし、野茂選手がその説をくつがえしましたね。ドジャースで投手として大活躍をしたのです。 野茂選手が日本を出発する日、空港まで取材に来た報道陣は少なかったと聞いています。つまり、彼のメジャーでの活躍を想像できなかったし、期待もしていなかったわけです。むしろ、当時は、メジャーへの挑戦に、冷やかしの内容のインタビューをしていた光景を何度か見た記憶もあるくらいです。ところが、一旦、投手として活躍する人が出ると、今度は、「野茂選手は投手だから活躍できたのであって、野手やバッターであれば、日本人選手は通用しないだろう・・・」という説にすり替わってしまいました(汗)。実にいい加減なものです。しかし、今ではそれも、野手やバッターとして活躍する多くの日本人メジャーリーガーによって、その考え方はなくなりましたよね。

ここで重要なことは、当時の一般的な考え方に従わなかった人たちが、つまり、自分の考えやアイディアを信じ、挑戦した人たちが、そんな考え方を打ち破っているという事実です。

もちろんそれは、かなり勇気がいることだったでしょう。でもその勇気を持った人たちが、いわゆる、常識を破れる人達です。常識を破れる人というのは、言葉を変えれば、新たな常識を作れる人と言えるのかもしれません。

これから何かに対して判断や行動をするときは、これまでのように、一般的に多くの人が「正しい」とされる考え方をチョイスする前に、「自分だったら、こう思う」というほうを選んでみるのも良いのではないでしょうか。結局、人の意見に従うにしても、自分の考え方に従うのも、最終的な責任は、自分自身がとらなければなりません。

いずれにせよ、これからの時代、これまでの一般的な考え方を疑ってみる姿勢・勇気も大切だと思います。自分を信じて邁進(まいしん)していきましょう!どうせ一回かぎりの人生なら、「常識に従う人」から、「常識を作る人」へと発想の転換をしてみませんか?

今回は以上です。